長女の幼稚園の時のお話です。
私も長女もはじめての環境に不安でしたが、担任の先生がとても明るく元気はつらつとした方で、一目見て安心して預けられる先生だなと思いました。
思った通り幼稚園での評判もとても良くて、他のクラスのお母さんに羨ましがられたりもしました。
臆病で人見知りな娘も泣くこともなく、楽しそうに幼稚園生活を過ごしているようで、親としてもとても安心して毎朝娘を幼稚園に送り出すことが出来ました。
幼稚園での様子も毎日の連絡帳をきちんと丁寧に書いてくれるので、とてもわかりやすくありがたかったです。
ある日、連絡帳にとても長い文章が書いていて驚きながら読みました。
その内容はここ1週間ほど娘が元気ない様子が書かれていました。
いつもの笑顔が少ないことを心配して気を配って見ていてくださって、お友達のちょっとしたイジワルをずっと我慢しているようだと言うことが書かれていて驚きました。
そのお友達とはバス停が一緒で帰りがけも公園で一緒に遊ばせていたのですが、私は全然気づいてあげれていなかったからです。
先生からの連絡を読んでからしばらく二人を観察していると、確かに我慢してその子の言いなりになっている様子がうかがえました。
親として気づいてあげれなかったショックと沢山の生徒さんを見ている先生が気づいてくれたことへの嬉しさや感謝の気持ちを今でも忘れる事はできません。
その後のお友達との関係は嫌な事は嫌と言うことができるようになって、自然とまた仲良く出来るようになり本当に良かったなと思いました。
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真由美先生の寵愛を一身に受けて楽しい幼稚園生活を送れました
現在30歳の男性です。26歳の時に結婚して子供が二人います。私は生まれも育ちも静岡で、働いているのも静岡です。子供の時に地元の私立幼稚園に通っていました。創立して間もない幼稚園で、そこの3期生ということで通って居りました。そこの真由美先生は、当時学校を卒業してすぐの先生で、新任で働いていたのだと思います。私は大変可愛がってもらった記憶があり、、子供心にも、それはないやろうという「えこひいき」があった気がしています。幼稚園で何か演習があります、学校ではないのできちんとしたものではないのですが、真由美先生が何かを説明して、その後で園児たちに答えさせる形のレッスンでした。そういうレッスンは一日、3回程度あるのですが、そのうち2回はかならず私に当たりました。それも難しい時は当たらず、少し優しい時は「はい、仁君」とあたるのです。園児たちは、はいはいと手を挙げるのですがね当たるのは、必ず私です。子供心にも「なんか、変、でも俺って、天才」という風に思うようになりました。また学芸会とか、演芸の時には王子様役は必ず私という風に決まっていました。そういうことが続くと私も調子の乗り、テンションは自然とMAXになっていきました。成人してから、その幼稚園に訪問した時、まだ在職だった真由美先生と話す機会がありました。その時になぜ、贔屓にしてくれたのか?ということを始めて確認することが出来ました。なかなか、そんなことは聞けないので勇気がいりましたが、答えは大変シンプルなものでした。「貴方の顔が当時付き合っていた彼とよく似ていたのよ」ということでした。実際、その男性と真由美先生は結婚されたみたいでしたが、若い時の写真を見せてもらうと今の私に大変似ていたので、またびっくりしたのでした。
長縄跳びが1回目しか跳べない
初めまして。ペンネームガイガーと申します。年齢は29歳男性です。僕が幼少期の頃、隣町から引っ越してきてようやく地元の保育園の入園が決まりました。場慣れしないなかでも体を動かすことが好きだった僕は友達と遊ぶよりも一人で三輪車や遊具で遊ぶのが好きな子供で、そのことを気にかけてくれていたK先生が僕を「みんなと一緒に遊ぼう!」と保育園の庭へ連れ出してくれ、大人数に溶け込む機会が増えました。そんなある日、初めて「長縄跳び」をみんなでやろうとK先生が企画し、何人かの園児が集まってきました。僕は気に掛けてくれたK先生が好きで皆にK先生を取られたくないと一心で、縄跳びに参加しました。ただ初めての長縄跳びで【全員で同じタイミングでジャンプ】することが僕にはできませんでした。悔しさと、先生にいいところが見せられない恥ずかしさで号泣寸前でした。ただ諦めが悪かった当時、何度も何度もせーのっ!で飛んで1回目は跳べて2回目で引っかかるを繰り替えてしまいました。ほかの子供が飽きたころにK先生がぼくの近くに寄ってきて「1回目が本当に上手!!」と褒めてくれました。僕はてっきり何かおこられるのではないかと思いましたが、「跳べたこと」を褒めてくれたK先生にびっくりして泣いてしまいました。ただその経験が、今現在になって「失敗しても何回でも挑戦していいこと」「少しでも上達したら自分や周囲を認めてあげること」の大切さに気が付いた瞬間でした。【1回目が上手!】これに含まれた本質を僕は一生忘れません。
自宅まで送り届けてくれた!幼稚園の先生に感謝
幼い頃からやんちゃだった私ですが、幼稚園時代にお世話になった先生には色々と面倒を見てもらいました。実の母親よりも、可愛がってもらえたのではないでしょうか。私の両親は共稼ぎであったこともあり、遅い時間帯でも幼稚園に居残ることも度々ありました。先生は「お腹が空いた」といって泣きじゃくる私に対して、優しく接してくれたことを覚えています。数多くの思い出がありますが、中でも印象的だったのが、ある時いつも迎えに来てくれる母親が同僚の不幸に伴い冠婚葬祭に出席しなければならない都合で、先生に自宅まで送ってもらった時のことです。その日は天気予報が外れて、夕方から激しい雨模様になりました。幼稚園から自宅までは、歩いて45分ほどかかりますので、本来ならば車での移動が妥当ですが、先生は車の運転免許も持っていないため雨の中をテクテクと二人で歩くことに。先生は大騒ぎしながら歩く私をしっかりと自宅まで送ってくれたのです。当時は何とも思いませんでしたが、後から振り返ると本当にありがたいことでした。長靴を履いていなかった私の足はびしょぬれ状態になりましたが、先生は靴下を脱がせてくれたり濡れた体を拭いてくれたりしてくれました。忘れられない思い出です。
先生を助けたい!年少の息子の思い
息子が年少だった頃の話です。登園前に急に、どうしても赤と白の旗を作らないといけないとぐずったことがあります。ただでさえ、朝は準備で忙しいのに、バスの時間もあるのに、絶対に作ると言って聞きませんでした。その熱量に私も諦めて一緒に作ることに。割り箸に赤、白の折り紙をつけ、テープで固定した簡単な旗を1本ずつ作ると、満足そうにバスに乗って登園していきました。しばらくして、担任の先生に会った時に呼び止められました。そしてなぜあんなにも旗を作ると言って聞かなかった理由を知りました。その日の前日の帰りの会で先生が「今日はみんなが帰った後に発表会で使う赤と白の旗をみんなの分を作るんだ」と話したそうです。それを聞いた息子が全員分を作ることを大変に思ったのようです。それであんなにも旗を作ると言って聞かなかったのか・・・と納得。この話を聞いたあと、息子に「先生を助けようと思って旗を作ったの?」と聞くと、「うん!先生がありがとうって言ってくれた。人数分作るの大変だったから助かったよって喜んでくれた」と教えてくれました。もしかしたら先生が既に人数分を作っていたかもしれないですが、息子の気持ちを受け止め褒めてくれたこと、そして保護者の私にも共有してくださったことをうれしく思いました。簡単に作った旗だったので、ボロボロになりながらも発表会の練習を頑張ったそうです。
いつも私の絶対的な味方でいてくれた幼稚園の先生
家から歩いて10分くらいのところにあった2クラスしかない小さな幼稚園に通っていました。幼稚園バスなどもなく、園児はみんな家から歩いて通っていたのです。そこで2年間過ごしたのですが、2年とも私の担任は同じ先生でした。その先生は人見知りでなかなか友達の輪に入れない私をいつも気にかけてくれていました。友達からきついことを言われてもすぐに先生が駆けつけて、「それは違うよね」と注意してくれたし、困っている時は声を上げなくても「どうしたの?」と聞いてくれました。でも私が「よし頑張ろう」と決心して友達に頑張って声をかけたときは、遠くから黙って見守っていてくれました。幼稚園では、自分の言いたいことをきちんと言えないことで周りをイラつかせたり、「こいつは何をしても怒らないから」となめられたりすることが多く、仲間外れをされたり、「あっちで待ってて」とうそをつかれて、いつまでも一人で待たされるということも多くあったのですが、寂しい時も悲しい時も、必ず先生がそばに来て、膝にのせてくれて「先生があなたの一番の友達だよ」と言ってくれたことが今でも忘れられません。うまく友達を作ることができなくても、私には一番の友達(先生)がいると思えば、強くなれる気がしたのです。今でも、辛いこと、悲しいことがあると必ず幼稚園の先生の顔を思い浮かべます。笑った顔しか浮かばないくらい、本当に優しい笑顔の似合う温かい先生でした。その幼稚園は取り壊しとなってしまったので、今先生はどこで何をしているのかわかりませんが、いつかまた出会うことができたら、「私は先生がいたから頑張れたよ、ありがとう」と伝えたいです。
一緒に成長を喜んでくれた先生
幼稚園に年少で入園した息子が「トイレに行きたい」と先生にうまく言えず、毎日のようにトイレを失敗していました。先生がトイレに誘ってくれてもかたくなにトイレを拒否していて、本人がトイレに行きたいと思った時にはもうトイレまで間に合わないといった状態が続いていました。
先生は「お友達がトイレに行っているのを見ていれば自然とトイレは出来るようになるので焦らないで大丈夫ですよ。お洋服や教室を汚しても全然気にしないで」と言っていてくれたのですが、どうしても焦る気持ちが大きくなり毎日悩んでいました。先生は親身になって相談に乗ってくれ、失敗したパンツはちゃんと洗ってくれたりと本当に良くしてくださいました。入園してから3ヶ月ほどした頃から数日に1回ではありますが、ようやく先生が声を掛けてくれた時に素直にトイレに行き1日中トイレを失敗することなく過ごせるようになっていました。「今日は出来ましたよ!もうすぐトイレも自分から言えるようになりますよ!」と励ましてくれる先生が本当に頼もしかったです。結局半年ほど失敗する日が続いていたのですが、最終的に1週間失敗なく過ごせるようになった時には「もう大丈夫!よく頑張ったね!」と私と一緒に子どもを褒めてくれ、成長を一緒に喜んでくれる先生に出会えてよかったと心から思っています。
優しい幼稚園の先生
長男が通っていた幼稚園の先生は、ありきたりな言葉ではなく子供一人一人の個性や幼稚園での様子を細かく書いてくださりました。例えば、ただ単に「お泊り幼稚園楽しかったね!」と誰にでも当てはまる言葉ではなく個人の様子、行動を通して〇〇君はこうだったよね、こんなことが出来るようになったよね、とか、お友達とのエピソードを細かく書いてくださる先生は、私たちが普段見られない様子を知る事ができ、本当にありがたいと思いました。何年たっても、メッセージカードやお手紙を読み返すとあの頃の息子の事を鮮明に思い出させてくれます。同時に、先生元気でまだあの幼稚園にいらっしゃるのだろうかと、先生の事も思い出します。あの当時は、沢山の園児がいるのにも関わらず、こうして書いてくだっさたり制作してくれて、きちんと休めているのだろうかと思う時もありました。親たちの間では、先生はヒーローでした。今思うと、直接感謝の気持ちを言えなかったのが悔やまれます。娘の先生の顔や名前はもう忘れてしまったのに…。A先生はいつも優しく見守っていてくれた印象があります。何気ない日常でも細かく伝えてくれた先生に感謝しています。また卒園アルバムやお誕生日のメッセージカード、学園お手紙読み返してみたくなりました。
まるで「前からいたかな?」と保育園の先生に言われるくらい馴染んだ娘。
4月から保育園の1歳児クラスに入園した娘。もともと人見知りもせずに、愛想の良い子でした。しかし産まれてから1日も欠かさず、ほぼ24時間一緒に過ごしてきた母としては、何時間も離れることが初めてで不安でいっぱいでした。1歳を超えて歩けるようになり、イタズラも活発に、自己主張も強くなりイヤイヤ期の片鱗がでてきた時期でもありました。自宅で1人でみることに限界は感じていたものの、いざ預けるとなると離れがたくなるものですよね。1日目は、何かよくわからないままの状態で泣かずに保育園に吸い込まれていきました。そしてドキドキのお迎え。初日でたった1時間程度とはいえ、ずっと泣いている子も多い中、娘は全く泣かずに楽しく過ごしていたそうです。すでに在園時の先輩赤ちゃんと、オモチャの取り合いまでしていたとのこと。先生からは「なんかまるで前からいたかな?と言うくらい馴染んでいましたよ」と言ってもらえて、一安心でした。2日目からは、置いていかれるということを理解して、預ける時に号泣したこともありましたが、相変わらず保育園に入ればケロッとしているそうです。保育園に預けてから、成長も著しくなり、大変な先生たちには感謝しかありません。早くから預けることを可哀想に思っていても、集団生活が身に付いたり刺激を受けたり、子供には良い経験になると思っています。
コロナ禍での入園
コロナ禍まっただ中の2020年保育園に入園し、入園式に参加後、緊急事態宣言発令に伴い保育園は約2ヶ月の間休園となりました。その間子どもの登園に対する意識は低下していき外に遊びに行くこともできず生活リズムも崩れていきました。登園再開後もそのリズムを取り戻すのは容易ではなく保護者の私自身はもちろん保育園の先生とも協力しながら子どもの保育園での生活リズムを整えるべく様々な工夫をしてきました。ときには個別で面談をしていただいたり外部からアドバイスをいただくために来ていただいたりもしました。運動会も参加拒否。しかし担任の先生や園長先生が優しく見守っていただけた結果、年末のお遊戯会では堂々と踊りを披露し、徐々に保育園での生活にも慣れていきました。週明けなど不安定になることもありましたが保育園で行事への参加を拒否したりすることも減っていったようで先生共々安心していました。そして年少組として最後の登園日、グズることなく笑顔で登園し先生を驚かせていました。最後の保育園も終わり迎えに行くといつも私から離れない子どもが担任の先生目がけて走り出し先生に抱きつき「ありがとう」と言ってさようならすることができました。コロナ禍での入園は子どもにとっても私にとってもそして先生にとっても大変な1年となりましたが子どもの成長を見られたことで悪いことばかりではないなと感じることができました。