それは我が子が幼稚園の年中だった時の事です。子供が通っていた幼稚園では毎年冬になるとマラソン大会を行っていました。人気の保育園を奈良の大和高田でも話題にマラソン大会と言っても幼稚園児が走る事が出来る距離のものです。大人が走ったとしたらものの数分で駆け終えてしまうようなコースだったのです。でも、私は我が子に至ってはそんなマラソンコースでも完走は難しいと思っていました。評判の保育園は奈良のどこでもというわけには と言うのも我が子は少し適応障害のところがあって、自分の気の向かない事には一切、集中してやり遂げる事が出来ません。我が子は海が嫌いでした。けれどもマラソンコースは海岸沿いをずっと走るというもの。しかも我が子は運動が大嫌いと来ています。そんな事でマラソン大会が始まる前から我が子は意気消沈していました。そんな我が子でしたから、もちろん年少の時のマラソンコースも完走は出来なかったのです。そして今年もきっと途中棄権だろうと私もとても残念な気分に浸っていました。けれども今年のマラソン大会はちょっと違ったのです。去年の様子を覚えていた園長先生、そして担任の先生、その他の先生がみんなで我が子に付き添って走ってくれたのです。途中、走るのに嫌になって離脱しようとすると、先生方全員が応援したり、時にはしかったりして我が子を励ましています。幼稚園児が走っても30分もかかるコースではなかったのですが、結局、我が子は2時間近く、マラソンコースをウロウロとしていました。そんな感じでしたから、他の園児たちは全員、おうちに帰ってしまっています。海岸に残されたのは私と我が子、そして幼稚園の先生方でした。そんな状況の中、我が子はやっと2時間以上の時間をかけてマラソンを完走する事が出来ました。マラソン大会が始まる前までは、自分の子が最後まで走れるとは思ってもいなかったのに・・・。なんでも後で聞いた話ですが、園長先生がマラソン大会が始まる前に、我が子を絶対にゴールさせるんだと張り切っていたそうです。その経験があり、私は今まで以上に我が子と向き合うようになりました。あの幼稚園の先生方がしてくれた事と同じように接していれば、我が子に出来ない事などないと思うようになったのです。あの時の幼稚園での出来事は、私は一生、忘れる事が出来ません。
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先生がくれた最高のプレゼント!保育園でのエピソード
保育園を卒園してから、既に長い年月が経過していますが、振り返ってみると私自身の人生の礎を作り上げた時期といっても良いのではないでしょうか。今でもはっきりと脳裏に焼き付いています。保育園生活では、当然ながらあれこれと面倒をみてくれる先生の影響が大きくなります。私も随分、先生を困らせてしまった記憶があります。色々と先生との思い出がありますが、特に忘れることができないのが、発表会での一幕です。発表会では保護者や教育関係者を集めて、園児たちが劇を披露します。とにかく、幼少期から目立ちたがりの私は主役のヒーロー役をやりたくて仕方ありませんでした。しかしながら、私以外にも数名の男の子が立候補したため、抽選となってしまったのです。残念ながら、結果的に私はヒーローに倒される悪役を演じることになりました。当時の私は子供ながらに一生懸命に自らに課せられた役を演じました。希望したヒーロー役ではなく、悪役を命ぜられた私に対して、先生は労いの言葉をかけてくれました。そして、卒園を控えた時期に開催された発表会では先生が私をヒーロー役に抜擢してくれることに。先生はどんなことにも主体的に取り組む私にご褒美として、粋な計らいをしてくれました。私にとって忘れられない思い出です。
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入試でわかった幼稚園の先生の優しさ
うちの娘が幼稚園に上がる前、うちの近所には3つ程候補の幼稚園がありました。その中で、とびきり評判が高くキリスト教系の幼稚園がありました。入園に際しては受験もあり、芸能人や有名人の子供らも通う幼稚園でした。受験の合格率はさほど低くはないものの、娘が受験した年は希望者が多く、倍率は高いという噂でした。うちはごくごく普通の一般のサラリーマン家庭であり、そんな有名人の子供が来るようなところではほぼほぼ無理だろうと殆ど諦めておりました。とはいえ、その幼稚園を卒園した子は皆一様に礼儀正しく穏やかな子に育つという評判も聞いており、諦めつつもどこかで「なんとか受かればいいな」とは思っておりました。キリスト系の幼稚園という事もあり、先生は皆さんシスターさんでした。受験当日始めてお会いしましたが、「有名な幼稚園」というところから勝手に持っていた「厳しそう」という事前のイメージとは違い、皆さん優しそうなシスターさんばかりでした。両親と子供、それに対して園長さんのシスターさんと他数名のシスターさんの質問形式という形で受験が始まりました。主に質問は娘に対してされ、最後に「好きな食べ物は?」という質問がされました。うちの娘は偶然かどうか、「にんじん!」と殆どの子供が嫌いな野菜をあげ、シスターさんが「まぁそれは凄い。お母様のお料理がよっぽどお上手なのね」と褒めてくれました。この答えのおかげか、娘は無事に合格し、3年間の素晴らしい幼稚園生活を経て無事に卒園しております。あの時、娘の「にんじん」という答えに満面の笑みを返して合格として下さったシスター方に感謝の気持ちで一杯です。
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個性を認め伸ばしてくれた幼稚園の先生
娘が幼稚園年長さんだったときの先生は、年中さん時代からの持ち上がりで二年間お世話になり、娘本人もよく懐いていて大好きな先生でした。娘が通った幼稚園では、毎年アットホームな園の雰囲気に溢れた発表会が話題になります。子どもたちも先生方もその年一番の見せどころということで一生懸命に練習しています。なかでも主役になるのは卒園前の最後の発表会となる年長さんたち。子どもたちも幼いながらその自覚があるのでしょう、心をこめて歌や合奏、劇の練習に励んでいます。私の娘は赤ちゃんの頃から身体が小さく、恥ずかしがり屋でなかなか人前で大きな声が出せません。発表会に向けて緊張が高まっているようでしたが、クラスで「エルマーとりゅう」の劇をやることになり猫の役があると聞いて顔色を変えました。猫が大好きな娘はどうしてもその役をやりたくなったようなのです。でも、猫は劇中で主人公エルマーのサポート役としてずっと旅のお供をする重要な役柄。ダブルキャストになりますがそれでも出ずっぱりで台詞もとても多いのです。大丈夫なのだろうか、という不安もよぎりましたが、先生もクラスのみんなも娘の気持ちを受けとめ「猫といえば◯◯ちゃんだよね」と応援してくれたらしいのです。やりたい役に決まったことももちろんですが、みんなに温かく受け入れられてもらったことが嬉しかったらしく、娘も練習を頑張っていました。ダブルキャストの子とは20センチほど身長差があり、発声も控えめでしたが先生が「そこがかわいい」「どちらの猫ちゃんも最高」と何度も褒めながら励ましてくださり、娘にとっても私たち家族にとっても忘れられない出し物、発表会となりました。個性を認め優しく声をかけ続けてくださった先生のおかげで、娘も自分の性質に萎縮することなく「私は私」という気持ちで現在も伸び伸びと過ごすことができています。本当に感謝の気持ちでいっぱいになるできごとでした。
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子供のやり方をほめてくれた幼稚園の先生
幼稚園では絵を描いたり、工作をしたりする機会が多いものですが、うちの息子はそれらがあまり得意ではありませんでした。私は幼稚園の教室にはってある子供達の絵をみながら、「どうしてうちの子が描く人は、腕が首から出ているんだろう。手足のバランスもおかしいし。」「どうしてうちの子は色をこれだけしか塗っていないのだろう。みんな、もっとカラフルにぬってきれいなのに。」などとよく思っていました。けれど、あるとき幼稚園の参観日で息子の作品づくりを見ることがありました。折り紙をはさみで切ったものを、のりで貼って絵や模様にするというものでした。見ていると、息子はとても作業がゆっくりでした。他の子よりもとても遅く、なかなか形にならないので、私はだんだん心配になってきました。先生も息子の様子をよく覗き込んでいたのですが、そのとき私にこう言われました。「Kくんは、とても作業がゆっくりですね。だけど、お母さん、これとても細かいでしょう?こんなに細かく切っているのはKくんぐらいですよ?それをもくもくと貼っていて、とくにこの下のところを揃えて貼るのはこだわりがあるんだと思いますよ。すごいです。」私はそれを聞いて、「ああ先生はそういう風に子供を見てくれているんだ」ととてもほっとし、うれしく思いました。私はそれまでできないことにばかり気が向いていましたが、先生のように子供をみていきたいなぁと思いました。
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保育園の頃の私の実体験
私は母親が昔から働いていたので、幼稚園ではなく保育園に通っていました。
今でも忘れられない保育園での実体験は、毎日自分が一番最後まで保育園に残っていたということです。
母親の仕事柄お迎えの時間が他の子より遅く、いつも大体夜の7時くらいまで残っていました。
その時のエピソードですが、いつも一人で最後まで残っていた私に保育園の先生たちはとても優しかったです。
保育園に常備してあるお菓子をコッソリ食べさせてくれたり、遊びの相手をしてくれたり、とにかく私に一番最後まで残されている寂しさを感じさせないようにしてくれていました。
このような生活が2年くらい続きましたが、保育園をいよいよ卒業するという時一番祝福してくれたのが園長先生でした。
私が毎日残されている時も園長先生が遊びの相手をしてくれたこともあり、本当に優しくて良い先生でした。
私は今40代ですが、未だに保育園の頃の思い出を忘れないくらい覚えています。
やはり、寂しい思いを含めた思い出というのは、そう簡単には忘れられないものですね。
小学校に入ってからも寂しさで性格が歪まずにいれたのは、保育園の先生たちのおかげだと思っています。
いい加減な先生だったとしたら、私はその後ぐれてしまっていたかもしれないと思うと感謝でいっぱいになります。 -
幼稚園の先生がなんと二人も花嫁さん
年少チューリップ組の頃と年長ひまわり組の頃に、担任をしてくれた先生の二人は、それぞれ個性が真逆だったのですがとてもやさしい先生でした。年少チューリップ組の先生はぽっちゃりしていて、子供たちがくっついたりじゃれたりしてたくさん甘えた先生。年長のひまわり組の先生は、細くて運動神経が良く、幼稚園の庭園へお遊戯室でたくさん体をつかって遊んでくれた先生でした。子供たちは、そんなせんせいのおかげで、元気いっぱいに育ちました。そしてついに卒園が迫った時期のことですが、なんと父兄たちに、お手紙でこのお二人の先生がお嫁さんになることわかったのです。こどもたちは、先生方が心から大好きで、子供どうして先生の取り合いをしているほどでした。先生をお嫁さんにしたいと、言っていた男のもいました。女の子も、男の子も、自分たちの大好きな先生は自分たちだけのものだと思っている雰囲気を父兄は感じ取っていたのです。それで、多くの父兄から、先生お二人に申し訳ないのですが、ご結婚のことは幼稚園では秘密にしてもらいたいという意見が出ました。しかし、卒園式の準備を心を込めてしてくださる先生の姿を見ていると、何かお祝いをしてあげたいという声が、後から父兄の中からでてきました。それで、私たちの中でお裁縫が好きな人が集まり、きれいなレースを使って、お花でデコレーションしたヴェールを作って、卒園式の最後に先生の頭につけてあげることになりました。もちろん、子供たちの気持ちも配慮できるように渡すときの工夫を考えました。当日、子供たちも先生も何も知りませんでしたが、園長先生に承諾をとりラジカセで結婚式の曲を最後の教室でかけました。子供たちも、先生も、曲を聴いて最初驚き、ざわざわしました。そして、隠してあったヴェールを先生お二人の頭にのせてあげました。すると、子供たちは、素敵なヴェールを頭にのせてもらった先生がとてもかわいくて、嬉しい悲鳴があちこちからわきました。この演出が成功し、子供たちは、練習もしてないのに自主的に口々におめでとうと大きな声で言い、みんなで喜びました。とても、いい思い出です。
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幼稚園の先生に出した暑中見舞いを褒められてニコニコの息子くん
息子は今3歳で、今年の春から幼稚園へ通い始めました。あまり物おじしない子で、幼稚園も「むちゃくちゃたのしい~!」と言いながら元気に通っています。しかし、コロナの影響で4月は休園。5月になってやっと1日2時間程度登園できるようになり、6月にようやく午後保育が始まりました。そしてあっという間に8月になり、幼稚園は夏休みに。夏休みが始まってからは、息子は毎日「今日は幼稚園行かないの?いつ行くの?」と言っていたんです。先生やお友達と遊びたいんだろうなと思いつつ、どうしてあげることもできません。どうしようかと考えていたある日、担任の先生から暑中見舞いが届いたんです。「先生からお手紙が来たよ~」と言うと息子は大喜び!お返事を書こうかと言うと激しく頷きました。とはいっても息子はまだ文字を書けないので、切ったオクラを使っていろんな色でスタンプを押してもらいました。そして新学期。帰宅した息子に今日は何をしたのかと聞くと、「○○先生がお手紙ありがとうって言ってた!」とニコニコしながら教えてくれたんです。きれいだったね、カラフルで素敵にできていたね、とすごくほめてくれたらしく、普段楽しいという割には幼稚園での出来事を話してくれない息子が、テンション高く話してくれました。それを聞いて私も非常にうれしかったです。
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心のこもったお手紙を先生からもらった
私は中学の時に不登校になったことがあります。どうしてか。それはやはり同級生からの仲間はずれが原因でした。今となっては、全然大したことはないと思うのに、その時には、ちょっとの仲間はずれが一大事だったのですね。それで不登校になってしまったのです。その時には、女性の音楽の先生が担任でした。そして休みが続くと、先生が心配して手紙をくれたのです。また学校で会えることを楽しみにしていると。それでも私はなかなか学校に行く気にはなれませんでしたね。だって、同級生に会うことが怖かったから。そしてそれを正直に先生に言い出すこともできませんでした。そんな日が約2週間続いたとき、先生からまたお手紙をいただきました。その中には先生の好きな音楽の入ったテープも一緒に。これを聞いてリラックスというメッセージが一緒に入っていました。先生の好きな音楽というのは、クラシックがほとんどだったのですが、なぜだか一曲だけヘビメタが入っていて思わず吹き出してしまいました。先生もこんなのが好きなんだ、と意外でしたね。そしてこの先生もっと話してみると面白いかもしれない。今度会いに行って話をしたいなと思ったのです。それから放課後に少しだけ行くようになり、また授業にも少しずつ参加するようになり、不登校を克服できました。これも先生の手紙のおかげです。
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娘の幼稚園の先生に教えていただいた事
年中の娘がいます。なかなかお友達ができず、いつも一人で遊んでいるという話ばかり本人から聞いていました。年中ともなれば周りも見えてくるし、お友達と関わりあって仲良く遊んでほしいなあという気持ちばかり大きくなり、幼稚園から帰った娘に、今日は誰と遊んだ?遊ぼうって自分から言ってみたら?という声かけばかりしていました。しかし、半年たってもお友達の名前は全然出て来ません。保育参観に行った時も娘は一人で遊んでいました。その様子を見てなんとも胸が苦しくなり、担任の先生に相談をしました。娘はいつも一人で遊んでいて、お友達がなかなかできないようなのですが、どうしたらよいでしょうか?というように率直に先生にお話しをしました。そこで返って来た先生からの言葉は、お母さんはこの園で仲の良いお母さんはいますか?とのことでした。私はいつも送迎の際はそそくさと帰り、他のお母さん達とコミュニケーションをとることをしていませんでした。先生からの言葉でハッとした私は、次の日から積極的に話しかけ仲良くなれるようにコミュニケーションをとるようにしました。しばらくすると娘にもお友達ができ、笑顔が増えてくるようになりました。あのとき、先生から教えて頂かなかったら、今も間違った対応をしていたことでしょう。私もお母さん友達ができ幼稚園に行くのが楽しくなるのとともに娘も楽しく通えるようになりました。幼稚園の先生のは、心から感謝しています。
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怖がり屋の私!優しい先生に感謝