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保育園で先生や家族に褒められたことがその後のきっかけになった話
私が保育園に通っていた時、定期的にいろんなものに対してブームが来ていました。例えば、パズルゲームが流行った時は、流行していたアニメの絵柄が描かれたパズルをみんなで解くことが流行っていました。他にもオセロゲームが流行したり、塗り絵が流行したり、かくれんぼ、色鬼、なぞなぞ…いろんなブームがありました。その中で当時私が変わらず好きだったことは、絵を描くことでした。塗り絵ブームが起きた時から、なんとなく雨の日は屋内で絵を描いたりするようになっていたのですが、時々先生から褒められることがありました。やはり褒められると嬉しくて、もっと描こうと思ったことが記憶に残っています。ある日、みんなで生きているウサギを目の前に置いて、お絵かきをしたことがありました。一生懸命描いていると、先生がまた褒めてくれます。「うまいね、ここがすごく上手に描けているよ。」と言われ、私は鼻高々。後日その絵は市の美術展に出品されました。それを家族で観に行ったときに、親からも上手に描いたねと褒められたことがすごく記憶に残っています。それから絵を描くことが益々好きになり、絵を仕事にしたいなと思うようになりました。その後成長した私は美術系の大学へ行き、絵を描く仕事に就きました。もしも、保育園時代にうまいねと褒められなかったら、私は全然違うことを仕事にしていたかなと今思います。
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卒園式の別れ際に涙を流していた先生
ずいぶん大昔のことになりますが、私は、幼稚園がどちらかと言うと嫌いでした。特に年少、年中の時は、周りに馴染めず、先生からも他の生徒と比べて、あまり気をかけてもらえてないと幼心に感じ、遊戯会の役も、脇役ばかりでした。年長になって、自分も幼稚園に慣れてきたのか、友だちもたくさん出来て、幼稚園が楽しく感じるようになりました。年長の時の担当の先生は、年少、年中の時の若いキレイなお姉さん風の先生と違い、中年の厳しそうな先生でした。でも、遊戯会や運動会など、いつも私に、難しい楽器や、素敵な役割を与えてくれて、それを幼いなりに、一生懸命こなすことによって、自分も出来るという自信を持つことにつながって行ったと思います。厳しそうな先生でしたが、話しかけるといつもハキハキ、目を見て、真剣に答えてくれていたと思います。帰りは、幼稚園バスで帰っていたのですが、別れの挨拶が決まっていて、「先生、さようなら。また明日」と先生と握手をしながら言って、帰ることになっていました。そして幼稚園最後の日の卒園式の後でも、同じように先生が一人一人の生徒と握手をしてお別れをして帰ったのですが、先生がその時、涙を流していたのです。幼いながらに、先生は、幼稚園の先生という仕事で、毎年のことなのに、涙まで流すことに、衝撃を受けたのを覚えています。もしかしたら、先生にも今回で幼稚園の先生を辞めるなどの個人的な事情があったのかもしれませんが、先生の、仕事と割り切った以上に、人と真剣に向き合う姿に、幼いながらに、はっとさせられたのを今でも覚えています。血の通った心をもって、1人1人に向き合う大切さを教えてもらったような気がします。
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幼稚園の先生に抱っこしてもらった記憶
私は現在34歳の女性です。幼稚園の年長さんの頃の話なので、28年ほど前ということになります。私が通っていた幼稚園では、年長さんになると、お泊まり保育というのがありました。幼稚園の教室に、みんなで泊まるのです。お泊まり保育の詳細は全く覚えていないのですが、ただ一つだけ、覚えていることがあります。夜、みんなが寝ている時に、私はふと目が覚めました。すると教室の前の方にゆらゆらと光が見えたのです。今考えてみると、ただの目の錯覚だったとは思うのですが、当時は、火の玉だ!と思いました。私は怖くなり泣いてしまいました。すると、大好きなみき先生が来てくれて、私が寝るまでずっと抱っこしてくれたのです。現在、私には年少さんの娘がいますが、15キロから20キロ近くある幼稚園生は、女性が抱っこしようと思うとかなり重いと思います。自分の娘ですら、極力抱っこしたくないのに、みき先生は、ずーっと抱っこしてくれていました。私はいつの間にか安心して眠っていました。そんな大好きなみき先生とは、卒園する時に、大人になったら一緒に温泉に行こう!と約束をしました。小学校の低学年ぐらいまでは、毎年、年賀状のやり取りをしていて、その度に、温泉を楽しみにしているね、と書いてくれていたのですが、いつしか年賀状のやり取りもなくなってしまいました。現在は連絡先も知らないので、一緒に温泉に行くことは、きっとできませんが、私はみき先生のことは28年間忘れていないし、今後も忘れることはないと思います。幼少期に、大好きな人に抱っこしてもらった記憶があると思うと、とても幸せな気持ちです。
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一番記憶にある小学校の先生
小学校にはいったばかりで人見知りの多い子供だったのでとにかく学校になれるのに時間がかかった。しかし、先生が勉強でわからないことがあれば分かりやすい勉強のしかたを教えてくれたり勉強以外でも悩み事などにも話をしたりとスゴく熱心に関わってくれた。話し方や、話しかけやすい雰囲気を作ってくれていたんだと思います。どうしても緊張してしまってうまく話せない子だったけど時間がかかってもゆっくりその子その子に合わせてくれたのがスゴく良かったです。なので、学校の記憶も楽しかった、面白かったと言う記憶が一番残っています。先生は授業も面白かった記憶が残っていますし、先生との相性もスゴく良かったのかなとも思います。そのときは必死で過ごしてきたように思いますが、あとで思い出すのはスゴく楽しかったなと言う記憶だったし、優しい先生の顔を今でも思い出します。友達との思い出や出会いも大事ですが、スゴく尊敬出来る先生との出会いも大事だなと思います。子供なので、尊敬というかやっぱり好きな先生と言う気持ちが残っていると思います。好きな先生の記憶はずっと残っていますし、何年たってもふと思い出しますし。楽しかった出来事ばかりだったので余計に思い出すのかもしれません。
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素敵な保育園に出会えたことに感謝
保育園に入り約1年。まだおむつが取れない状態でした。でも、入園しすぐにできるようになっていき、先生たちの熱心で根気のある指導のおかげで、ひらがなやカタカナもすぐに読めるようになり、運動では、逆立ちやダンス、また跳び箱も飛べるようになりました。音楽の授業のピアニカは最初全然できなくて嫌がっていたのに教えてもらったおかげで家でも自慢するようになりました。参観日で見に行くことがあった時もほかのおともだちと仲良く頑張って演奏する姿を見て感動してしまいました。もともと喘息気味で迷惑をかけてしまうんじゃないかという心配があって、先生方にもそのことを説明するとこちらの心配を気遣ってくれ安心して登園できました。先生の指導のおかげで、今まで家でお手伝いなんかしなかったのに、今では喜んで料理を手伝ってくれるまで成長しました。子どもの成長と自立を先生方が見守ってくれているおかげだと感じました。先生方も本当に子どもたちを可愛がってくれるので、子どもたちも先生方のことが大好きで先生方の言うことをちゃんと聞くようになりました。いつかは卒園して離れ離れになるのがすごく寂しいですが、この保育園で過ごしたことが子どもの成長につながっていく事に感謝しています。
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ウサギのマスコットをくれた幼稚園の先生
当時は家の近くに幼稚園がなかったため、少し遠い幼稚園に通っていました。もちろん家から遠いので毎日幼稚園バスに乗って登園していました。そして私は当時は問題児でした。と言うのも、お友達に暴力をふるったり、何かいたずらしたりなどの悪さをしていませんでしたが、いつもボーっとしていて先生の話をあまり聞いていないような子でした。なので先生の手をずいぶん煩わせてしまったと今でも反省しています。私はいたって真面目に先生の指示を聞いているつもりでも「○○ちゃんスコップをお片付けしてから教室に来てね。」と先生に指示されたのに「先生スコップどうぞ。」と間違えて先生に渡したりとかなりお間抜けだったのを覚えています。そんな先生にたくさん迷惑をかけてしまいましたが、今でも覚えている事があります。卒園するときに担任の先生が、一人一人にウサギのマスコットをプレゼントしてくれたんです。それは紙粘土でウサギの形に成型されていてピンク色の絵の具で塗られており、ニスで塗ってあってツヤツヤしていました。私はすごいうれしくて今でも大事にとってあります。きっと先生も20何年たっているのにウサギのマスコットを私が持っているって知ったら喜んでくれると思います。
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幼稚園・保育園の先生に教わった勉強が役立った経験
昔は勉強ができなくて何度も身近な先生に教わっていました。例えば幼稚園・保育園の先生が優しく教えてくれて記憶には残っています。私は昔から算数や国語の勉強ができなかったので簡単に教えてもらっていました。幼稚園・保育園の先生でもしっかり大人になるための勉強を教えてくれました。記憶にあるのが数を数えるというエピソードです。数字の数え方が分からない私に幼稚園・保育園の先生が教えてくれた話です。先生は私を呼んで丁寧に教えてくれたので泣くこともなかったです。昔は勉強ができなくて泣いたのでそれで怒られていました。しかし幼稚園・保育園の先生は個人にも優しかったので私は安心していました。そういう教え方ができる幼稚園・保育園の先生の存在は今でも凄いと思っています。そして先生の影響で進学してもあまり勉強には抵抗感がなかったです。特に数字を数える時は幼稚園・保育園の先生の方法を思い出しました。先生は道具で数字を教えてくれたので覚えやすかったです。その方法だと子供でも分かりやすくて本当に慣れていると思いました。また相手は常に笑顔で分からない部分を教えてくれたので覚えています。こうした幼い頃のエピソードがあって今の自分が作られているような感じがあります。
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先生流の抱っこが必要
3歳の息子が保育園に通い出してもうすぐ半年が経とうとしているのですが、最近息子を抱っこすると「もっとユラユラしてほしい」とリクエストされました。息子の話を聞いていると、それはどうやら眠い時に保育園の先生がやってくれるユラユラ抱っこと呼ばれる抱っこ方法らしく、何度か試したのですが全然うまくいきませんでした。次の日、担任の先生にそのことを伝えるとそのユラユラ抱っこのコツを教えてもらうことができたので、早速その日の夜に実践したのですが、結局息子は私のユラユラ抱っこで気持ちよく眠ることができず、失敗に終わってしまいました。正直ちょっと保育園の先生に嫉妬するような気持ちやなんとかマスターしてやるという気持ちが入り混じって変な感情になっていました。
また次の日に担任の先生にうまくいかなかったことを伝えると、なんとその場で実践して見せてくれることになり、さらにムービーで撮影して参考にしてくださいとのことで、ばっちり撮影させていただきました。その時の息子の顔ったらなんて嬉しそうかとまたちょっとジェラシーな感じでしたが、その日の晩はその動画を参考にしながら息子が求めるちょうどよいユラユラをなんとか実現できたみたいで、ぐっすり眠ることができました。ああ保育園の先生はなんて偉大なのかと思いました。 -
保育園の担任の先生のお陰で仕事を続けられた
子供がまだ小さなころから保育園に預けていましたが我が家は、会社が結構遠くて朝も一番に預けないと間に合わないこともありました。それで朝は、いつもバタバタしていて子供の支度や愚図りで朝食も適当になってしまう事も多くこのまま仕事を続けていていいのだろうかと自己嫌悪に陥る時もありました。ある朝、少し寝坊してしまった上に子供が愚図り泣いて支度をするのが遅くなってしまい遅刻しそうだったので朝ごはんもほとんど食べず車の中で菓子パンをあげて向かいました。保育園に到着してバタバタと預ける時に担任に少し事情を話してお願いしましたが仕事中も罪悪感が強くなり泣きたい気持ちになりながらもお迎えに行った時に何かを察してくれたのか担任が笑顔で出迎えてくれて少し話をしました。お母さん、毎朝大変ですよね。今朝も朝食の事気にされていたけどお子さんは1日元気に遊んでお昼寝もしっかりして楽しそうでしたよ。朝ごはんは、食欲なくて食べない子もいるから食べなくても気を張り過ぎなくて大丈夫ですよ。お昼ご飯もしっかり食べているからと声をかけてくれました。毎日、仕事と家事の繰り返しで夫も多忙でワンオペだったし職場には、急な休みで迷惑かけたりとプレッシャーも凄くてそんな時に優しい言葉をかけてもらったので涙が出ました。この辺りから、保育園の先生にも色々と弱音も吐けるようになってかなり救われました。恐らくこの言葉が無かったら私は仕事を辞めていた可能性が高いので今でも感謝しています。
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子どもの孤独感に寄り添ってくれた幼稚園の優しい先生
うちの幼稚園は男女比に偏りがあり、とくに娘と同じ学年は女の子がとても少ないです。風邪や病気がはやると、「今日は女の子ひとりだけだね!」なんてこともよく起こります。娘は年中さんまでは男女比を気にしたことはなく、女の子が娘ひとりの日だろうがなんだろうが楽しく幼稚園に通っていました。が、年長さんになってしばらくしてから、ついに「男の子たくさんいるのに、女の子少ないのちょっと嫌だな……」と言い始めました。よく話を聞いてみると、男の子たちがヒーロー遊びや戦いごっこをしているとき、女の子たちは仲間にいれてもらえないそうです。確かに年長さんって、男女で遊び方に違いが出始めるころですよね。これはちょっと幼稚園に行かせるのに苦労する日が来るかもしれないな、と覚悟はしていたのですが、ある日ついに、「昨日女の子お休み多かったから、今日は幼稚園ぜったい行きたくない!」と言われてしまいました。泣きそうになっている娘をなだめすかして幼稚園に連れて行くと、先生は既に事情を察していて、「○○ちゃん(娘の名前です)来てくれて嬉しいぞ~」と娘をだっこしてくるくると回ってくれました。「○○ちゃんがいなかったら先生女の子ひとりになっちゃうよ!」と先生が言うと、娘は「ほんとだ! 先生も女の子だ!」と嬉しそうにしていました。その日は特別に、先生のとなりで一緒に先生ごっこをしながら給食を食べたり、クラブ活動に参加したりしたそうです。髪の毛もきれいに編み込みをし直してくれて、お姫様ごっこも満喫したみたいでした。娘の孤独感に気が付いてくれて、「女の子が自分ひとりのさみしい一日」ではなくて、「女の子が自分ひとりの特別楽しい一日」にしてくれた先生には感謝してもしたりません。