私は、小さいころ、とても人見知りで幼稚園に行くのが大嫌いでした。幼稚園の年少の時、歌の時間やお絵かきの時間は、先生に言われたとおりにしていれば特に何も言われませんでしたが、自由時間に一人で部屋の隅っこにいると先生たちから「他のお友達と遊ぼうよ」「ほら、あっちで〇〇ちゃんたちがおままごとしてるよ。混ぜてもらおう」と声をかけられました。私は「みんなと遊ばなきゃ」と思うのが嫌で嫌で仕方なく、幼稚園に行く前はいつもぐずって先生や母を困らせていました。そんな時、ある先生が「じゃあ、まず先生とお友達になろうか」と言って、私の遊びに一対一で付き合ってくれました。最初のうちは先生と二人でごっこ遊びをしたり、泥団子を作ったりしていましたが、だんだん他の子も「私も先生と遊びたい」「まぜて!」と遊びに入ってきて、自然に一緒に遊べるようになりました。今になって考えると、たくさん子供たちがいる中で一人の子供につきっきりになるのはとても大変だっただろうと思います。それでも先生が他の子たちとの間の懸け橋になってくれたおかげで、私はいつの間にか先生がいなくても他の友達と遊べるようになりました。一人一人の子供に向き合ってくれる素敵な先生に出会うことができてよかったです。
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成長の喜びを共に分かちあってくれた幼稚園の先生
長男の担任を2年連続でして下さった先生のお話です。長男は癇癪持ちで、切り替えがなかなか出来ない事があり、幼稚園でも友達とのトラブルが多くありました。初めての子育てだった事もあり、私も悩みは絶えず、時には幼稚園の送迎時に涙したこともあります。そんな中でも、まるで自分の子どものように、愛情を注いで下さった幼稚園の先生との出会いに私も息子自身も大きく成長する事が出来ました。息子が友達とオモチャの取り合いで癇癪を起こすと、「どうしたの?」といつも息子の気持ちを聞いた後、「あのオモチャが欲しかったんだね」などと気持ちに寄り添う言葉がけと「〇〇君も同じように使いたかったのかな?」「どうしたら良いと思う?」と相手の気持ちを考えるきっかけを与えてくれました。先生が自分の気持ちを受け止めてくれるという安心感から、癇癪も次第に無くなっていき、幼稚園を卒園する頃には相手の気持ちを考えられるまでに成長していきました。“なんでうちの子だけこんなに癇癪が酷いのだろう”と私が悩み、育児相談を持ち掛けた際も「人それぞれ大変な時期が違うけれど、いつかグッと成長を感じる時が来ます。だから焦らなくても大丈夫ですよ」と暖かく声をかけて下さいました。卒園式、息子の成長を一緒に感じて共に涙して下さった先生の温かさを思い出すと今でも胸が熱くなります。
困っていることを覚えてくれていた先生
息子が通っている幼稚園の担任の先生に、覚えていてもらえて嬉しかったことがあります。それは子供の健康について困っていたことです。息子は、トイレトレーニングがうまく進まず、加えて便秘がちです。先生にもそのことを伝えようと思い、「お腹が張って機嫌が悪くなることがある」と連絡ノートに書いてやりとりをしたことがありました。それから1ヶ月後に、幼稚園での参観日がありました。子供達の活動を見学して、保護者懇談が終わり、帰ろうとした時に、担任の先生に呼び止められました。「なんだろう?」と思っていると、先生の手には新聞の切り抜きが。「前に、便秘で悩まれていたので、こんな記事を見付けたので、良かったら参考にしてください」と、言って子供の便秘に関する記事が書かれた新聞の切り抜きを渡してくれました。以前相談したことを覚えてくれていて、新聞記事を見た時に自分の息子を思い出してくれたくれたことに、とても嬉しくなりました。私は専業主婦で、実家も義理の実家も遠方で、コロナウイルスの流行から更に近くに接する大人が本当に数少なくなってしまったので、幼稚園の先生に優しく接してもらえていることが、とても心の支えになっているな、と思いました。
保育園登園時のルーティーン
息子はよく「今日は保育園ある日?休みたいよ。ママと一緒にいてたい。保育園行きすぎ!」など保育園よりも家で遊ぶことが好きみたいです。保育園に行けば楽しそうにしているのですが、男の子と遊ぶとおもちゃを壊されるのが嫌らしくよく女の子とおままごとをしたりしているみたいです。そんな息子は保育園に行くまでが大変です。行きたくないので全く準備が進みません。床に寝転がりくねくねしています。それでもやっと準備して保育園に行くのですが毎日おもちゃやぬいぐるみをさげて行き、出迎えてくれる先生に見せます。保育園にはおもちゃは持って入れないので見せるためだけに持って行きます。ある日は、だんごむしのフィギュアやハッピーセットのプリキュア、ぬいぐるみ、時にはお菓子のケースも。保育園玄関に出迎えてくれる先生に見せるルーティーンで先生も「今日は何持ってきたん?」ときいてくれたり「明日はぬいぐるみ見せてね」と言ってくれるので保育園行きたくないも軽減され本当に助かります。本人も見せたら満足で見せると車に置いて泣くことなく行ってくれます。朝の忙しい中、息子との時間をとってくれ本当にありがたいです。にこやかに対応してくれる先生に感謝です。
たくさんの愛情をくれた幼稚園の先生
幼稚園の先生の名前は卒園して30年たった今でも覚えています。年中の頃のうさぎ組のえり先生は、早生まれのせいか周りのお友達より体が小さく、少しずつ行動が遅れてしまう私にいつも優しく寄り添ってくれる優しい先生でした。中でも思い出深いのが、次の2つのエピソード。1つ目は、給食ででたトウモロコシにうまくかぶりつけずに泣いてしまった私の隣で、一粒一粒トウモロコシを外してくれ、「がんばれ!がんばれ!」と応援しながら食べるのを見守ってくれたこと。そして2つ目は階段の上り降りがゆっくりで周りのお友達についていけなかったときに、手を繋いで「いっちにさんしいっちにさんし」と声かけをしながら一緒に階段をおりてくれたこと。ふっくらとして豪快な笑顔がとっても素敵だったえり先生。うさぎ組だったからかいつもピンクのエプロンをしていたのが印象的です。卒園式のとき、えり先生と写真を撮るときは私も先生も大泣きしてしまい、アルバムの写真は目が真っ赤になっています。もうあの頃の先生の年齢をとうに超えましたが、今でも先生は先生のまま。娘も数年先には幼稚園に通い始めますが、えり先生のようにたくさんの優しさで包んでくれる先生に出会ってほしいと思います。
保育園で先生や家族に褒められたことがその後のきっかけになった話
私が保育園に通っていた時、定期的にいろんなものに対してブームが来ていました。例えば、パズルゲームが流行った時は、流行していたアニメの絵柄が描かれたパズルをみんなで解くことが流行っていました。他にもオセロゲームが流行したり、塗り絵が流行したり、かくれんぼ、色鬼、なぞなぞ…いろんなブームがありました。その中で当時私が変わらず好きだったことは、絵を描くことでした。塗り絵ブームが起きた時から、なんとなく雨の日は屋内で絵を描いたりするようになっていたのですが、時々先生から褒められることがありました。やはり褒められると嬉しくて、もっと描こうと思ったことが記憶に残っています。ある日、みんなで生きているウサギを目の前に置いて、お絵かきをしたことがありました。一生懸命描いていると、先生がまた褒めてくれます。「うまいね、ここがすごく上手に描けているよ。」と言われ、私は鼻高々。後日その絵は市の美術展に出品されました。それを家族で観に行ったときに、親からも上手に描いたねと褒められたことがすごく記憶に残っています。それから絵を描くことが益々好きになり、絵を仕事にしたいなと思うようになりました。その後成長した私は美術系の大学へ行き、絵を描く仕事に就きました。もしも、保育園時代にうまいねと褒められなかったら、私は全然違うことを仕事にしていたかなと今思います。
卒園式の別れ際に涙を流していた先生
ずいぶん大昔のことになりますが、私は、幼稚園がどちらかと言うと嫌いでした。特に年少、年中の時は、周りに馴染めず、先生からも他の生徒と比べて、あまり気をかけてもらえてないと幼心に感じ、遊戯会の役も、脇役ばかりでした。年長になって、自分も幼稚園に慣れてきたのか、友だちもたくさん出来て、幼稚園が楽しく感じるようになりました。年長の時の担当の先生は、年少、年中の時の若いキレイなお姉さん風の先生と違い、中年の厳しそうな先生でした。でも、遊戯会や運動会など、いつも私に、難しい楽器や、素敵な役割を与えてくれて、それを幼いなりに、一生懸命こなすことによって、自分も出来るという自信を持つことにつながって行ったと思います。厳しそうな先生でしたが、話しかけるといつもハキハキ、目を見て、真剣に答えてくれていたと思います。帰りは、幼稚園バスで帰っていたのですが、別れの挨拶が決まっていて、「先生、さようなら。また明日」と先生と握手をしながら言って、帰ることになっていました。そして幼稚園最後の日の卒園式の後でも、同じように先生が一人一人の生徒と握手をしてお別れをして帰ったのですが、先生がその時、涙を流していたのです。幼いながらに、先生は、幼稚園の先生という仕事で、毎年のことなのに、涙まで流すことに、衝撃を受けたのを覚えています。もしかしたら、先生にも今回で幼稚園の先生を辞めるなどの個人的な事情があったのかもしれませんが、先生の、仕事と割り切った以上に、人と真剣に向き合う姿に、幼いながらに、はっとさせられたのを今でも覚えています。血の通った心をもって、1人1人に向き合う大切さを教えてもらったような気がします。
幼稚園の先生に抱っこしてもらった記憶
私は現在34歳の女性です。幼稚園の年長さんの頃の話なので、28年ほど前ということになります。私が通っていた幼稚園では、年長さんになると、お泊まり保育というのがありました。幼稚園の教室に、みんなで泊まるのです。お泊まり保育の詳細は全く覚えていないのですが、ただ一つだけ、覚えていることがあります。夜、みんなが寝ている時に、私はふと目が覚めました。すると教室の前の方にゆらゆらと光が見えたのです。今考えてみると、ただの目の錯覚だったとは思うのですが、当時は、火の玉だ!と思いました。私は怖くなり泣いてしまいました。すると、大好きなみき先生が来てくれて、私が寝るまでずっと抱っこしてくれたのです。現在、私には年少さんの娘がいますが、15キロから20キロ近くある幼稚園生は、女性が抱っこしようと思うとかなり重いと思います。自分の娘ですら、極力抱っこしたくないのに、みき先生は、ずーっと抱っこしてくれていました。私はいつの間にか安心して眠っていました。そんな大好きなみき先生とは、卒園する時に、大人になったら一緒に温泉に行こう!と約束をしました。小学校の低学年ぐらいまでは、毎年、年賀状のやり取りをしていて、その度に、温泉を楽しみにしているね、と書いてくれていたのですが、いつしか年賀状のやり取りもなくなってしまいました。現在は連絡先も知らないので、一緒に温泉に行くことは、きっとできませんが、私はみき先生のことは28年間忘れていないし、今後も忘れることはないと思います。幼少期に、大好きな人に抱っこしてもらった記憶があると思うと、とても幸せな気持ちです。
一番記憶にある小学校の先生
小学校にはいったばかりで人見知りの多い子供だったのでとにかく学校になれるのに時間がかかった。しかし、先生が勉強でわからないことがあれば分かりやすい勉強のしかたを教えてくれたり勉強以外でも悩み事などにも話をしたりとスゴく熱心に関わってくれた。話し方や、話しかけやすい雰囲気を作ってくれていたんだと思います。どうしても緊張してしまってうまく話せない子だったけど時間がかかってもゆっくりその子その子に合わせてくれたのがスゴく良かったです。なので、学校の記憶も楽しかった、面白かったと言う記憶が一番残っています。先生は授業も面白かった記憶が残っていますし、先生との相性もスゴく良かったのかなとも思います。そのときは必死で過ごしてきたように思いますが、あとで思い出すのはスゴく楽しかったなと言う記憶だったし、優しい先生の顔を今でも思い出します。友達との思い出や出会いも大事ですが、スゴく尊敬出来る先生との出会いも大事だなと思います。子供なので、尊敬というかやっぱり好きな先生と言う気持ちが残っていると思います。好きな先生の記憶はずっと残っていますし、何年たってもふと思い出しますし。楽しかった出来事ばかりだったので余計に思い出すのかもしれません。
素敵な保育園に出会えたことに感謝
保育園に入り約1年。まだおむつが取れない状態でした。でも、入園しすぐにできるようになっていき、先生たちの熱心で根気のある指導のおかげで、ひらがなやカタカナもすぐに読めるようになり、運動では、逆立ちやダンス、また跳び箱も飛べるようになりました。音楽の授業のピアニカは最初全然できなくて嫌がっていたのに教えてもらったおかげで家でも自慢するようになりました。参観日で見に行くことがあった時もほかのおともだちと仲良く頑張って演奏する姿を見て感動してしまいました。もともと喘息気味で迷惑をかけてしまうんじゃないかという心配があって、先生方にもそのことを説明するとこちらの心配を気遣ってくれ安心して登園できました。先生の指導のおかげで、今まで家でお手伝いなんかしなかったのに、今では喜んで料理を手伝ってくれるまで成長しました。子どもの成長と自立を先生方が見守ってくれているおかげだと感じました。先生方も本当に子どもたちを可愛がってくれるので、子どもたちも先生方のことが大好きで先生方の言うことをちゃんと聞くようになりました。いつかは卒園して離れ離れになるのがすごく寂しいですが、この保育園で過ごしたことが子どもの成長につながっていく事に感謝しています。