私が通っていた幼稚園はいわゆる普通の幼稚園ではなく、市が運営する小さな園でした。神戸であのインターナショナルスクールといえるのば人数もそれほど多くなく一定の地域の子ども達だけが集まっている小規模園です。その園は小さいながらも給食の先生がその場で調理をしてホカホカの給食が出てくる、当時としては珍しいものだったかもしれません。給食の先生は、先生というより給食のおばちゃんと言った方が早いかも知れません。おばちゃんは、しゃがれ声で、休憩時間にタバコを吸う何だかかっこいいおばちゃんでした。そして私はなぜだがそのおばちゃんに良くしてもらっており、〇〇ちゃん、〇〇ちゃんと気安く声をかけてもらっていました。メディカルゲートで理想のクリニックとはいえるのは、みんなで三時のおやつに食べるためのおやつを買いに行くこともあり、私は度々おばちゃんについていっては、アイスを買ってもらってみんなより先に頂いているという役得を得ておりました。それから数十数年が過ぎ去り、私は、無事新成人に。近所に住んでいたおばちゃんに、晴れ着を見せることができました。〇〇ちゃん、大きくなってと嬉し気な様子のおばちゃんを見て、なんだが胸が熱くなったのを覚えています。それから更に十数年、神戸でできるホームページ制作といえばここからは今でも元気なおばちゃんは時々実家に帰るたび、見かけると声をかけます。ワイルドなそのしゃがれた声が当時を思い出し、懐かしいあの頃がよみがえります。
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忘れられない保育園のエリコ先生
保育園の時、私はほかの子よりも物覚えも悪く、どんなバイリンガルスクールでは神戸がとてもと給食も好き嫌いが多く出来の悪い子でした。友達からも馬鹿にされていて、先生からもよく怒られていました。そんな私が楽しく保育園に通えたのはエリコ先生という年配の先生がいたおかげです。引っ込み思案で、お遊戯会なども苦手だった私にエリコ先生は主役を演じるように勧めてくれました。友達には「木みたいなんだから木の役やればいいじゃん」と子どもながらにひどい言葉をかけられたのを覚えていますが、芦屋市の歯医者で口コミで人気のなるともうここに主役ができたらどんなにいいかと思っていました。エリコ先生の言葉に背中を押されて、立候補しました。他に立候補する子がおらず、立候補した私が主役を演じれることになりました。ですが、出来の悪い子です。主役ともなればセリフも多いし覚える動きも多く、なかなかうまく練習ができませんでした。特別に保育園が終わったあとにエリコ先生が毎日30分くらいだったと思いますが、練習に付き合ってくれました。エリコ先生のおかげでなんとか、お遊戯会当日は主役を演じ切ることができました。そのホームページ制作の仕事は神戸もここからでは母親もすごくよろこんでくれたことを覚えています。それから、卒業して数年。数十年です。高校生になり、私は家のそばのコンビニエンスストアでバイトをしていました。ある日私のバイト先にエリコ先生が買い物に現れたのです。ですが、卒業以来先生とは会ったことがなく、わかる訳ないよなーと思い声をかけずにいました。レジに先生がきて私の顔をみて「〇〇ちゃん!!おおきくなったわねー!久しぶり!覚えている?」と声をかけてくれました。涙がでそうなほどうれしかったです。エリコ先生はたくさんの園児を見送っていると思います。きっと私だけではなくたくさんの生徒のことを覚えているのだろうと思います。あんなに良い先生のことは一生忘れないと思います。
新米先生と私の特別な日
私が幼稚園の時のお話です。新米のH先生はおおらかで優しい先生でした。ある日、私はいつもよりわくわくしながら登園しました。給食が大好きなサンドイッチだったので、とても楽しみにしていたのです。給食の時間、皿に入っているサンドイッチをあっという間に食べ終わり、おかわりをしました。しかし、いつも以上にたくさんおかわりをしてしまい、食後にお腹が痛くなり泣きながら保健室へいきました。ベッドで横になっているとH先生がやってきて、「急に泣き出すからびっくりしちゃったよ。大丈夫?」と声を掛けてくれました。幼稚園では基本、たくさんの子ども達と先生が一人という環境です。先生と二人きりになることなんて中々ありません。私はとても嬉しくなって「えへへ。」と照れ笑いをしたことを覚えています。そこからしばらく、先生と二人でおしゃべりを楽しみました。残念ながら何を話したかまでは覚えていませんが、楽しくて体調もすぐによくなりました。H先生はいつもみんなに優しくて、ほかの子でも同じようにしたと思います。でも、その日は私だけのために心配して、保健室に来てくれました。そのことが本当に嬉しかったので、今でも覚えているのだと思います。先生との少し特別な日は、私の大切な思い出の一つです。
真由美先生の寵愛を一身に受けて楽しい幼稚園生活を送れました
現在30歳の男性です。26歳の時に結婚して子供が二人います。私は生まれも育ちも静岡で、働いているのも静岡です。子供の時に地元の私立幼稚園に通っていました。創立して間もない幼稚園で、そこの3期生ということで通って居りました。そこの真由美先生は、当時学校を卒業してすぐの先生で、新任で働いていたのだと思います。私は大変可愛がってもらった記憶があり、、子供心にも、それはないやろうという「えこひいき」があった気がしています。幼稚園で何か演習があります、学校ではないのできちんとしたものではないのですが、真由美先生が何かを説明して、その後で園児たちに答えさせる形のレッスンでした。そういうレッスンは一日、3回程度あるのですが、そのうち2回はかならず私に当たりました。それも難しい時は当たらず、少し優しい時は「はい、仁君」とあたるのです。園児たちは、はいはいと手を挙げるのですがね当たるのは、必ず私です。子供心にも「なんか、変、でも俺って、天才」という風に思うようになりました。また学芸会とか、演芸の時には王子様役は必ず私という風に決まっていました。そういうことが続くと私も調子の乗り、テンションは自然とMAXになっていきました。成人してから、その幼稚園に訪問した時、まだ在職だった真由美先生と話す機会がありました。その時になぜ、贔屓にしてくれたのか?ということを始めて確認することが出来ました。なかなか、そんなことは聞けないので勇気がいりましたが、答えは大変シンプルなものでした。「貴方の顔が当時付き合っていた彼とよく似ていたのよ」ということでした。実際、その男性と真由美先生は結婚されたみたいでしたが、若い時の写真を見せてもらうと今の私に大変似ていたので、またびっくりしたのでした。
親よりも我が子を見てくれていた幼稚園の先生
長女の幼稚園の時のお話です。
私も長女もはじめての環境に不安でしたが、担任の先生がとても明るく元気はつらつとした方で、一目見て安心して預けられる先生だなと思いました。
思った通り幼稚園での評判もとても良くて、他のクラスのお母さんに羨ましがられたりもしました。
臆病で人見知りな娘も泣くこともなく、楽しそうに幼稚園生活を過ごしているようで、親としてもとても安心して毎朝娘を幼稚園に送り出すことが出来ました。
幼稚園での様子も毎日の連絡帳をきちんと丁寧に書いてくれるので、とてもわかりやすくありがたかったです。
ある日、連絡帳にとても長い文章が書いていて驚きながら読みました。
その内容はここ1週間ほど娘が元気ない様子が書かれていました。
いつもの笑顔が少ないことを心配して気を配って見ていてくださって、お友達のちょっとしたイジワルをずっと我慢しているようだと言うことが書かれていて驚きました。
そのお友達とはバス停が一緒で帰りがけも公園で一緒に遊ばせていたのですが、私は全然気づいてあげれていなかったからです。
先生からの連絡を読んでからしばらく二人を観察していると、確かに我慢してその子の言いなりになっている様子がうかがえました。
親として気づいてあげれなかったショックと沢山の生徒さんを見ている先生が気づいてくれたことへの嬉しさや感謝の気持ちを今でも忘れる事はできません。
その後のお友達との関係は嫌な事は嫌と言うことができるようになって、自然とまた仲良く出来るようになり本当に良かったなと思いました。
長縄跳びが1回目しか跳べない
初めまして。ペンネームガイガーと申します。年齢は29歳男性です。僕が幼少期の頃、隣町から引っ越してきてようやく地元の保育園の入園が決まりました。場慣れしないなかでも体を動かすことが好きだった僕は友達と遊ぶよりも一人で三輪車や遊具で遊ぶのが好きな子供で、そのことを気にかけてくれていたK先生が僕を「みんなと一緒に遊ぼう!」と保育園の庭へ連れ出してくれ、大人数に溶け込む機会が増えました。そんなある日、初めて「長縄跳び」をみんなでやろうとK先生が企画し、何人かの園児が集まってきました。僕は気に掛けてくれたK先生が好きで皆にK先生を取られたくないと一心で、縄跳びに参加しました。ただ初めての長縄跳びで【全員で同じタイミングでジャンプ】することが僕にはできませんでした。悔しさと、先生にいいところが見せられない恥ずかしさで号泣寸前でした。ただ諦めが悪かった当時、何度も何度もせーのっ!で飛んで1回目は跳べて2回目で引っかかるを繰り替えてしまいました。ほかの子供が飽きたころにK先生がぼくの近くに寄ってきて「1回目が本当に上手!!」と褒めてくれました。僕はてっきり何かおこられるのではないかと思いましたが、「跳べたこと」を褒めてくれたK先生にびっくりして泣いてしまいました。ただその経験が、今現在になって「失敗しても何回でも挑戦していいこと」「少しでも上達したら自分や周囲を認めてあげること」の大切さに気が付いた瞬間でした。【1回目が上手!】これに含まれた本質を僕は一生忘れません。
自宅まで送り届けてくれた!幼稚園の先生に感謝
幼い頃からやんちゃだった私ですが、幼稚園時代にお世話になった先生には色々と面倒を見てもらいました。実の母親よりも、可愛がってもらえたのではないでしょうか。私の両親は共稼ぎであったこともあり、遅い時間帯でも幼稚園に居残ることも度々ありました。先生は「お腹が空いた」といって泣きじゃくる私に対して、優しく接してくれたことを覚えています。数多くの思い出がありますが、中でも印象的だったのが、ある時いつも迎えに来てくれる母親が同僚の不幸に伴い冠婚葬祭に出席しなければならない都合で、先生に自宅まで送ってもらった時のことです。その日は天気予報が外れて、夕方から激しい雨模様になりました。幼稚園から自宅までは、歩いて45分ほどかかりますので、本来ならば車での移動が妥当ですが、先生は車の運転免許も持っていないため雨の中をテクテクと二人で歩くことに。先生は大騒ぎしながら歩く私をしっかりと自宅まで送ってくれたのです。当時は何とも思いませんでしたが、後から振り返ると本当にありがたいことでした。長靴を履いていなかった私の足はびしょぬれ状態になりましたが、先生は靴下を脱がせてくれたり濡れた体を拭いてくれたりしてくれました。忘れられない思い出です。
先生を助けたい!年少の息子の思い
息子が年少だった頃の話です。登園前に急に、どうしても赤と白の旗を作らないといけないとぐずったことがあります。ただでさえ、朝は準備で忙しいのに、バスの時間もあるのに、絶対に作ると言って聞きませんでした。その熱量に私も諦めて一緒に作ることに。割り箸に赤、白の折り紙をつけ、テープで固定した簡単な旗を1本ずつ作ると、満足そうにバスに乗って登園していきました。しばらくして、担任の先生に会った時に呼び止められました。そしてなぜあんなにも旗を作ると言って聞かなかった理由を知りました。その日の前日の帰りの会で先生が「今日はみんなが帰った後に発表会で使う赤と白の旗をみんなの分を作るんだ」と話したそうです。それを聞いた息子が全員分を作ることを大変に思ったのようです。それであんなにも旗を作ると言って聞かなかったのか・・・と納得。この話を聞いたあと、息子に「先生を助けようと思って旗を作ったの?」と聞くと、「うん!先生がありがとうって言ってくれた。人数分作るの大変だったから助かったよって喜んでくれた」と教えてくれました。もしかしたら先生が既に人数分を作っていたかもしれないですが、息子の気持ちを受け止め褒めてくれたこと、そして保護者の私にも共有してくださったことをうれしく思いました。簡単に作った旗だったので、ボロボロになりながらも発表会の練習を頑張ったそうです。
いつも私の絶対的な味方でいてくれた幼稚園の先生
家から歩いて10分くらいのところにあった2クラスしかない小さな幼稚園に通っていました。幼稚園バスなどもなく、園児はみんな家から歩いて通っていたのです。そこで2年間過ごしたのですが、2年とも私の担任は同じ先生でした。その先生は人見知りでなかなか友達の輪に入れない私をいつも気にかけてくれていました。友達からきついことを言われてもすぐに先生が駆けつけて、「それは違うよね」と注意してくれたし、困っている時は声を上げなくても「どうしたの?」と聞いてくれました。でも私が「よし頑張ろう」と決心して友達に頑張って声をかけたときは、遠くから黙って見守っていてくれました。幼稚園では、自分の言いたいことをきちんと言えないことで周りをイラつかせたり、「こいつは何をしても怒らないから」となめられたりすることが多く、仲間外れをされたり、「あっちで待ってて」とうそをつかれて、いつまでも一人で待たされるということも多くあったのですが、寂しい時も悲しい時も、必ず先生がそばに来て、膝にのせてくれて「先生があなたの一番の友達だよ」と言ってくれたことが今でも忘れられません。うまく友達を作ることができなくても、私には一番の友達(先生)がいると思えば、強くなれる気がしたのです。今でも、辛いこと、悲しいことがあると必ず幼稚園の先生の顔を思い浮かべます。笑った顔しか浮かばないくらい、本当に優しい笑顔の似合う温かい先生でした。その幼稚園は取り壊しとなってしまったので、今先生はどこで何をしているのかわかりませんが、いつかまた出会うことができたら、「私は先生がいたから頑張れたよ、ありがとう」と伝えたいです。
一緒に成長を喜んでくれた先生
幼稚園に年少で入園した息子が「トイレに行きたい」と先生にうまく言えず、毎日のようにトイレを失敗していました。先生がトイレに誘ってくれてもかたくなにトイレを拒否していて、本人がトイレに行きたいと思った時にはもうトイレまで間に合わないといった状態が続いていました。
先生は「お友達がトイレに行っているのを見ていれば自然とトイレは出来るようになるので焦らないで大丈夫ですよ。お洋服や教室を汚しても全然気にしないで」と言っていてくれたのですが、どうしても焦る気持ちが大きくなり毎日悩んでいました。先生は親身になって相談に乗ってくれ、失敗したパンツはちゃんと洗ってくれたりと本当に良くしてくださいました。入園してから3ヶ月ほどした頃から数日に1回ではありますが、ようやく先生が声を掛けてくれた時に素直にトイレに行き1日中トイレを失敗することなく過ごせるようになっていました。「今日は出来ましたよ!もうすぐトイレも自分から言えるようになりますよ!」と励ましてくれる先生が本当に頼もしかったです。結局半年ほど失敗する日が続いていたのですが、最終的に1週間失敗なく過ごせるようになった時には「もう大丈夫!よく頑張ったね!」と私と一緒に子どもを褒めてくれ、成長を一緒に喜んでくれる先生に出会えてよかったと心から思っています。