今小3になる息子が年少から入園した幼稚園の先生の話です。早生まれのせいか、とても甘えん坊で幼かった息子。幼稚園に入って大丈夫かな?とすごく心配で、案の定初日から大号泣。いつも泣いてご迷惑をお掛けしているだろうに、保育士を大和高田で採用するならみのり先生は息子の良い所を見つけて誉めてくれました。なかなか慣れない息子に対して、私が家で呼んでる息子の愛称(ともゆきだったらともちゃんのような)で息子を呼んでくれて、息子も凄く嬉しかったみたいです。夏休み前にはみのり先生が大好きになって、先生がトイレに行く時にも付いて行ってたとか(笑)お陰で夏休みが終わった頃には泣かなくなりました。私も息子の困った事を相談したり、奈良では保育園の話題を聞くと先生は20代で子供も産んだ事が無いのに、何でこんなに頼りになるんだろうと思っていました。しかし、9月になり我が家に県外への転勤話が舞い込んできました。せっかく息子が慣れたのに…お友達もできて…何より私がみのり先生と離れたくない!と思いましたが、転勤する為に幼稚園を辞める事になりました。先生へ息子と一緒に撮ってもらった写真と私の熱い気持ちがこもった手紙を渡しました。息子はまだ小さいので、悲しい気持ちは無かったみたいですが、私は最後の日は朝から涙が止まりませんでした。もちろん最後にお別れする時も涙。本当に素敵な先生でした。あれから、何度か会いに行っていますが、ここ1年は行けてないので、今度会いに行こうと思いました。
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幼稚園に行くのを楽しみにさせてくれた先生との出会い。
幼稚園の頃はとても大人しく人見知りな子供だったみたいで、なかなか友達が出来なく浮いてしまうタイプの子だったみたいです。そんな時、人気の奈良でも大和高田で保育園が今でも覚えてるのが私がクレヨンで動物の絵を描いている時に声をかけてくれて上手と誉めてくれた女の先生です。その幼稚園ではモルモットを飼っていましたし私自身も動物が大好きな子でした。ある時、先生と一緒にモルモットの絵を描いて見せあったのを覚えています。凄く可愛く書けている先生の書いたモルモットの絵を貰いました。口コミすると奈良の保育園でも嬉しくて私はその先生の事が大好きになりました。ある日、先生と話している時に、たまたま別のクラスにいる一人の女の子がその先生の近くにきました。そしたら先生が私の事を紹介してくれました。その女の子も動物が大好きだったらしくて、先生が「お友達になれるんじゃないかな??」って優しく二人を繋いでくれた感じです。その時期を境にその女の子と話したり遊んだりもするようになって自然に友達になれていました。手を繋いでスキップしたりして、その女の子と友達になったとゆう事を先生の目の前でやって見せたりしていました。先生はとても喜んでくれました。本当に優しい先生でした。年賀状なども先生と送り合いしました。当初、大人しくて不器用だった私を少しずつ引き出していってくれて幼稚園に行くのを楽しみにさせてくれた優しい先生には感謝をしています。
転園する幼稚園の同級生、女の子は娘だけ。先生がとってくれた行動は……?
海外の日本人幼稚園に転園しました。駐在員の子どもが通う、日本語教育を行ってくれる幼稚園です。タイミングが悪かったのか、同級生は男の子が10人、娘はたったひとりの女の子でした。もう年長さんだったので、男の子と女の子の言葉づかいや遊び方に差が出てきていて、娘が孤立してしまわないか心配でした。でもそれはまったくの杞憂で、男の子たちは娘の入園をとても喜んでくれました! 後々聞いたところによると、「女の子が来るから、みんなで歓迎しよう!」「戦いごっこばっかりやってると○○ちゃんは楽しめないかもしれないから、○○ちゃんが何遊びが好きか、インタビューしてみようね」など、事前に男の子たちといろいろ話し合ってくれていたようです。転園前からそんなに配慮してくださっていたとは夢にも思わず、あとでほかのママから話を聞いたときには本当にびっくりしました。転園初日、娘は「みんな○○のおなまえ知ってた!」と嬉しそうにしていて、「○○もみんなのことはやくおぼえなきゃ!」とやる気を見せてくれていたのですが、まさか先生の事前のご指導があったとは。おかげで娘も一瞬で男の子だらけの環境になじみ、卒園まで楽しく幼稚園に通うことができました。本当に感謝しています!
保育園の先生の言葉に、親の私が救われてきた
あれは、上の子どもを保育園に預けながら働いていたときのことです。正社員として働いていた私は、初めての子育てと、奈良でも大和高田でも保育士の求人を求めて徐々に責任が重くなる仕事の重圧と忙しさに、日々ボロ雑巾のようになっていたんです。それでも、朝起きて、時間に追われながら子どもにご飯を食べさせ、汗かきかきなんとか保育園までたどり着いていました。そんな親より早く園に到着して、受け入れ態勢を整える先生方も大変な思いをされているはずだったと、今は思うんですが、当時はそんなことさえ想像できないような状態の私でした。朝から既にくたびれて保育園の玄関に入っていくと、どの先生もおはようございますという、明るくさわやかな挨拶をしてくれるんです。この保育園が奈良では話題になっているのはあいさつってこんなに大切なものかと改めて感じさせてもらうほど、その朝の一言で私は、力をもらっていました。夕方も時間との戦いです。やっとの思いでなんとか仕事を切り上げてお迎えに行くと、もううちの子どもを含めた2~3人の子どもだけ。先生は、迎えに行った私の顔を見ると、朝と同じ清々しい声で、おかえりなさいと、言ってくれるんです。どこの神戸でもインターナショナルスクールには子どもを預けているんですが、私がその言葉に日々癒されていました。仕事を休んで検診に連れて行っても、元気なうちの子どもは手がかかって、仕事より疲れる始末。そんな子どもの様子を翌日先生に話すと、うん、いいですね、成長していますねと、言ってくれました。そうか、このなんでも興味を示して近づいて確かめようとすることも、強く自己主張する様子も、親は大変だけれど子どもの成長なんだと、思えたのでした。当時、そんなバイリンガルスクールでは神戸でもが初めてだった私には、保育園の先生の一言一言が、癒しであるだけでなく、育児本よりも参考になっていたのでした。
妊娠中に行った幼稚園の親子遠足での先生の優しさ
息子が幼稚園に通うようになってすぐの頃に、動物園へ親子遠足に行きました。私は幼稚園児の息子に加え、2歳半の娘と妊娠中というなかなか厳しい状況で参加しました。バイリンガルスクールが神戸の中にあれば息子の初めての幼稚園でのイベントで、動物園もとても楽しみにしていたのでお弁当も作って気合いを入れて参加しました。入園したばかりということもあり、仲のいいお母さんも少なく、子どもたちを見ながら回るので精一杯でした。息子の担任になった若い女性の先生は元気で活発で、笑顔の可愛らしい先生でした。息子にもよく声をかけてくれており、バスの中や集合場所でも「大丈夫ですか?」と声をかけてくれました。遠足終盤で私の体力が限界に近づき、早めに入口の集合場所に戻ることにしました。息子や娘はまだまだ動物を見たい感じではありましたが、ジュースを買ってあげるという話で説得し入口で待機していました。私たち以外にも早めに入口に戻ってきている人たちがいて安心しました。緊急事態がおきたのはその頃でした。息子がトイレに行きたいと言い出したのです。根管治療でおススメの歯科医院が満載だといえば私は近くにあるトイレを2ヶ所回りましたが、混み合っていて、娘の乗っているベビーカーと一緒に入れるトイレは入口付近にはありませんでした。息子の我慢も限界に近付いてきていて困っていると、先生が駆け寄ってきて「どうかしましたか?」と声をかけてくれました。事情を説明すると、先生は「私が〇〇君をトイレに連れて行きますので、お母さんはベンチに座って待っていてください」と私の代わりに息子をトイレに連れていってくれました。夫が来てくれていたら問題なくできていたことですが、仕事休むことができなかったので先生がいてくれて本当に助かりましたし、安心できました。息子もお母さんと遠足に行けてとても楽しかったと言ってくれて、大変だったけどとてもいい思い出になりました。
保育園の遠足にお弁当忘れたぁ!
私には2人の子供がいて、2人とも保育園に預けていました。下の子供が4才の時に保育園に通っていた時のエピソードです。子供達が通っていた保育園ではこんなバイリンガルスクールでは神戸のどこから年中・年長さんの時に日帰りで遠足に行くイベントがありました。年長さんはバスに乗り少し離れた動物園まで行き、年中さんの遠足は保育園から近隣の公園まで歩いて行き、お弁当を食べた後に帰ってくるというのが慣例でした。ある日の朝、いつもの様に私が下の子を保育園に預けに行くと、何だかいつもと様子が違います。奈良でも評判の大和高田の保育園ではここからでは少し不思議に思っていると、先生からの衝撃の言葉を聞きました。「今日、○○組さんは遠足ですよ!」えーっ!?、パパの私、何も聞いてませんけどー。。当然、お弁当の用意などはしていません。大ピンチです。しかし、何とかしてお弁当を用意しなければ、下の子はお昼が食べられません。その時、担当の先生達が「私達の分を少しずづ分けますね」と言ってくれました。私は仕事まで、まだ時間があったので、先生に遠足の行先を聞いて、早く奈良で評判の保育園を探そうと決めておいても速攻でスーパーに行き、おにぎりと簡単な総菜買って、自宅に帰って、何とかお弁当箱を探して、買ってきた食材をお弁当箱に詰めて、自転車で遠足先の公園に向かいました!そして公園めざして歩いている子供達に合流できたのです。子供にお弁当を渡すことができ、先生達も安心してくれました。夕方、子供を引き取り行くと先生が「お父さん、すごーい!、お弁当、ちゃんとお弁当箱に入れてきてくれてたんですね!てっきり、買ってきたままかと思いました!お子さん喜んで食べてましたよ!それを見て、私とても嬉しかったし、感動しました!」と言ってくれました。神戸のインターナショナルスクールではここにも私も先生からその言葉を聞いて、何だか嬉しかったです。
幼稚園で毎日大泣きする子供に対してありがたかったこと
ママ大好きのまま入園した我が子が幼稚園バスが来るたびに泣き朝が来るたびに泣き幼稚園に行きたくないが口癖になっていました。
理由を聞いても幼稚園つまらない家でママと抱っこしてるのが一番楽しいの一点張りでママがいないと涙が出ちゃうとか言われるともういっそ退園させて家で抱っこするかなんて考えがよぎりました。
それで家族に相談するとそれは慣れればよくなるだろうし同年代の子と遊んだりする経験も小学校に入ってから大事だから退園なんてダメに決まってるだろうと怒られたので納得していませんでしたがとりあえず本人と毎日話をして通っていました。
割と無理やり幼稚園バスに乗せていく形の園でバス停で大騒ぎするのはその年我が子だけでちょっと恥ずかしいけど可愛いななんて思いながら見ていました。でも、今までの子育て方針からしてなんか無理やりやらせるのが苦手だなと方針にちょっと違和感も感じていました。
そんな日が続いたある日ある先生がバスに乗って来てその日は全く泣かずに乗車したのです。バス停に付いた時に先生が子供の耳元で何か言ったら涙目の我が子が笑顔になって乗り込みました。
後から聞くと子供が大好きな遊びをバスの中でやろうかってささやいてくれたのでした。以前から泣いている所を見てくれてた先生は、幼稚園で担任でもないのに何が好きとかリサーチしてくれてじゃんけんが好きと知るとそれを朝テンションを上げるために言ってくれてそれがきっかけで段々幼稚園でも友達が増えてきて慣れてきて泣かなくなりました。
この時の先生の言葉が無かったらもっと長引いていたと思うので感謝しかないです。
幼稚園に入ってからの成長
私の娘は、幼稚園に入園する前にプレ保育として幼稚園に週に2回だけ通っていました。そして、奈良で大和高田の保育士を求人でのことへ幼稚園にもプレ保育に行っていた幼稚園と同じ幼稚園を選んだために、お友達も先生も、知っている人が居ることから、親も子どもも安心して通うことができました。子どもは、どんなにホームページ制作で工務店をここからプレ保育に行っていたために、幼稚園に行くこと自体は慣れていましたが、制服を着て行く幼稚園と、プレ保育よりも人数の多い年少さんのクラスとで、なかなか初めは慣れることができずに「幼稚園行きたくない」と、朝は家を出るときからグズることがありました。それでも、なんとか幼稚園に連れていき、幼稚園の玄関先でも泣きわめく子どもを何とか行かせようとしていると、プレ保育の時からお世話になっている先生がいて、新川崎のおすすめ消化器内科はどうしてもここにその先生が「制服似合ってるよー!お姉ちゃんになったねー!」と、子どもの気持ちを盛り上げるように頑張ってくれました。幼稚園でたくさん楽しいことがあるということを先生の雰囲気から感じることができ、私がどれだけ説得しても行かなかったのに、先生と話をすることで子どもは落ち着きを取り戻して幼稚園の中に入っていきました。先生も、「大丈夫ですよ」と、これから保育園を奈良市内で探してみるにしてはおやの私のことも気にかけてくれて、とても感謝の気持ちで一杯になりました。
幼稚園の先生との思い出。
幼稚園の先生には、かわいがってもらいました。評判になっている大和高田の保育園はここから世話のかかる子供で、幼稚園に行くのが嫌で時々ダダをこねて行きたくないと泣き叫んでいると、近所ということもあり先生が家まで来てくれて無理に幼稚園へ連れて行かれました。そういう事が頻繁にあり、先生が家まで来る日が多かったです。そう言った感じで、新川崎でおすすめの消化器内科ならどこからも世話がかかる子供だったので余計に他の子よりもかわいく思えるのかなと思います。なぜ、幼稚園に行くのがそんなに嫌なのかと問われました。とにかく嫌だったので黙っていた記憶があります。お遊戯会では、特別なキレイな衣装を着ることが出来て嬉しかったです。大阪でポンテベッキオといえばどうしても写真も撮ったので、印象が残ります。幼稚園では、先生にお世話になりかわいがってもらって嬉しかったです。幼稚園を卒業しても、習い事へ行くときに、知らない男の人に声をかけられて歩いていると、幼稚園の先生が偶然通りかかり助けてくれました。ここホームページ制作 でも格安なんてどうも知らない人と話してはいけないと、2人で走って逃げると、男の人が追いかけて来て、近くのコンビニでかくまってもらい助かりました。コンビニまで男の人が追いかけてきて怖い思いをしました。幼稚園の先生は、いつまでも私を心配してくれて感謝しています。中学生になっても、奈良で口コミをする保育園はここにもそんなになって先生は私のことを覚えていてくれたのを嬉しく思います。
イヤイヤ期!困り果てた私の頼りになる保育園の先生
イヤイヤ期真っ最中の3歳娘は、保育士で採用できる奈良の大和高田でどうしてかその日も家の玄関からすでにぐずり始めていました。仕事に遅れてしまうと焦る私は、仕方なくマグロを担ぐように子どもを抱きかかえ、歩いてすぐの保育園に向かいました。途中、暴れる娘の手が当たり、私のメガネが放物線を描きながら道路に飛んで行ったことは忘れられないエピソードです。根管治療でおすすめの東京の歯科医院はここにしてから家を出る前から暴れずっと泣いている娘、迫りくる始業時間、歪んだメガネをかけて保育園へと歩く私の気持ちは、大変追い込まれていました。どうにか園の玄関までたどり着きましたが、そこでも全身でイヤを表現する娘。そんなとき「どうしたの?○○ちゃん」と担任の先生が声をかけてくれました。ホームページ制作できる 歯医者はこんなにして私から家での様子を聞きながら「何がイヤだったの?」と娘に声をかけ続け、最後には娘を抱いてクラスへ連れて行ってくれました。「今日の登園はすごかったな…」とひと息つきながら廊下を歩いていると、大阪でレストランウェディングならここからも先ほどの担任の先生が「お母さん!」と追いかけてきました。「お母さん、最近〇〇ちゃんのイヤイヤがすごいけど、お母さんの接し方に問題があるとかそういうことじゃないから、気にしないでくださいね。」私があまりにも追い詰められた顔をしていたのか定かではありませんが、子どもを奈良の保育園に口コミで入れるにしてもその優しい一言に思わず涙が出そうになりました。