真由美先生の寵愛を一身に受けて楽しい幼稚園生活を送れました

現在30歳の男性です。26歳の時に結婚して子供が二人います。私は生まれも育ちも静岡で、働いているのも静岡です。子供の時に地元の私立幼稚園に通っていました。創立して間もない幼稚園で、そこの3期生ということで通って居りました。そこの真由美先生は、当時学校を卒業してすぐの先生で、新任で働いていたのだと思います。私は大変可愛がってもらった記憶があり、、子供心にも、それはないやろうという「えこひいき」があった気がしています。幼稚園で何か演習があります、学校ではないのできちんとしたものではないのですが、真由美先生が何かを説明して、その後で園児たちに答えさせる形のレッスンでした。そういうレッスンは一日、3回程度あるのですが、そのうち2回はかならず私に当たりました。それも難しい時は当たらず、少し優しい時は「はい、仁君」とあたるのです。園児たちは、はいはいと手を挙げるのですがね当たるのは、必ず私です。子供心にも「なんか、変、でも俺って、天才」という風に思うようになりました。また学芸会とか、演芸の時には王子様役は必ず私という風に決まっていました。そういうことが続くと私も調子の乗り、テンションは自然とMAXになっていきました。成人してから、その幼稚園に訪問した時、まだ在職だった真由美先生と話す機会がありました。その時になぜ、贔屓にしてくれたのか?ということを始めて確認することが出来ました。なかなか、そんなことは聞けないので勇気がいりましたが、答えは大変シンプルなものでした。「貴方の顔が当時付き合っていた彼とよく似ていたのよ」ということでした。実際、その男性と真由美先生は結婚されたみたいでしたが、若い時の写真を見せてもらうと今の私に大変似ていたので、またびっくりしたのでした。

親よりも我が子を見てくれていた幼稚園の先生

長女の幼稚園の時のお話です。
私も長女もはじめての環境に不安でしたが、担任の先生がとても明るく元気はつらつとした方で、一目見て安心して預けられる先生だなと思いました。
思った通り幼稚園での評判もとても良くて、他のクラスのお母さんに羨ましがられたりもしました。
臆病で人見知りな娘も泣くこともなく、楽しそうに幼稚園生活を過ごしているようで、親としてもとても安心して毎朝娘を幼稚園に送り出すことが出来ました。
幼稚園での様子も毎日の連絡帳をきちんと丁寧に書いてくれるので、とてもわかりやすくありがたかったです。
ある日、連絡帳にとても長い文章が書いていて驚きながら読みました。
その内容はここ1週間ほど娘が元気ない様子が書かれていました。
いつもの笑顔が少ないことを心配して気を配って見ていてくださって、お友達のちょっとしたイジワルをずっと我慢しているようだと言うことが書かれていて驚きました。
そのお友達とはバス停が一緒で帰りがけも公園で一緒に遊ばせていたのですが、私は全然気づいてあげれていなかったからです。
先生からの連絡を読んでからしばらく二人を観察していると、確かに我慢してその子の言いなりになっている様子がうかがえました。
親として気づいてあげれなかったショックと沢山の生徒さんを見ている先生が気づいてくれたことへの嬉しさや感謝の気持ちを今でも忘れる事はできません。
その後のお友達との関係は嫌な事は嫌と言うことができるようになって、自然とまた仲良く出来るようになり本当に良かったなと思いました。

長縄跳びが1回目しか跳べない

初めまして。ペンネームガイガーと申します。年齢は29歳男性です。僕が幼少期の頃、隣町から引っ越してきてようやく地元の保育園の入園が決まりました。場慣れしないなかでも体を動かすことが好きだった僕は友達と遊ぶよりも一人で三輪車や遊具で遊ぶのが好きな子供で、そのことを気にかけてくれていたK先生が僕を「みんなと一緒に遊ぼう!」と保育園の庭へ連れ出してくれ、大人数に溶け込む機会が増えました。そんなある日、初めて「長縄跳び」をみんなでやろうとK先生が企画し、何人かの園児が集まってきました。僕は気に掛けてくれたK先生が好きで皆にK先生を取られたくないと一心で、縄跳びに参加しました。ただ初めての長縄跳びで【全員で同じタイミングでジャンプ】することが僕にはできませんでした。悔しさと、先生にいいところが見せられない恥ずかしさで号泣寸前でした。ただ諦めが悪かった当時、何度も何度もせーのっ!で飛んで1回目は跳べて2回目で引っかかるを繰り替えてしまいました。ほかの子供が飽きたころにK先生がぼくの近くに寄ってきて「1回目が本当に上手!!」と褒めてくれました。僕はてっきり何かおこられるのではないかと思いましたが、「跳べたこと」を褒めてくれたK先生にびっくりして泣いてしまいました。ただその経験が、今現在になって「失敗しても何回でも挑戦していいこと」「少しでも上達したら自分や周囲を認めてあげること」の大切さに気が付いた瞬間でした。【1回目が上手!】これに含まれた本質を僕は一生忘れません。

自宅まで送り届けてくれた!幼稚園の先生に感謝

幼い頃からやんちゃだった私ですが、幼稚園時代にお世話になった先生には色々と面倒を見てもらいました。実の母親よりも、可愛がってもらえたのではないでしょうか。私の両親は共稼ぎであったこともあり、遅い時間帯でも幼稚園に居残ることも度々ありました。先生は「お腹が空いた」といって泣きじゃくる私に対して、優しく接してくれたことを覚えています。数多くの思い出がありますが、中でも印象的だったのが、ある時いつも迎えに来てくれる母親が同僚の不幸に伴い冠婚葬祭に出席しなければならない都合で、先生に自宅まで送ってもらった時のことです。その日は天気予報が外れて、夕方から激しい雨模様になりました。幼稚園から自宅までは、歩いて45分ほどかかりますので、本来ならば車での移動が妥当ですが、先生は車の運転免許も持っていないため雨の中をテクテクと二人で歩くことに。先生は大騒ぎしながら歩く私をしっかりと自宅まで送ってくれたのです。当時は何とも思いませんでしたが、後から振り返ると本当にありがたいことでした。長靴を履いていなかった私の足はびしょぬれ状態になりましたが、先生は靴下を脱がせてくれたり濡れた体を拭いてくれたりしてくれました。忘れられない思い出です。